どうも、塾生6名の教室長です。
みなさんはお子さんが勉強していて間違えた時はどのような対応をしていますか?
今日はわたしが思う「間違える」ことの大切さについてお話ししたいと思います。
わたしがこれまで生徒に勉強を教えてきて感じてきたことがあります。
それは、
学力がつく時は問題に「正解」したときではなく「間違えた」とき
ということです。
間違えたときに正しく対応してあげると生徒は次のような力をどんどんつけます。
- 自分で考える力
- 間違いを探そうとする力
- わからないところを説明する力
などです。
いわゆる非認知スキルと呼ばれるようなこれらの力は今後、より一層必要とされます。
このような力を重要だと感じていらっしゃる方には参考にしていただける内容だと思います。
また、お子さんの勉強を普段から見ていらっしゃる方にも参考にしていただける内容です。
それでは、ぜひ最後まで読んでいってください。
子どもは「間違える」ことが重要
みなさんは勉強はどのような目的でするものだと考えていますか。
いろいろな考え方や捉え方があると思います。
良い学校や会社に入るため
成績を上げるため
テストの点数を良くするため
さまざまな目的で勉強をするのではないでしょうか。
またお子さんにもこんな理由で勉強を勧めるのではないでしょうか?
「いい学校に行けるように勉強しなさい」
「もっと勉強して成績を上げなさい」
「点数が低いからもっと勉強しなさい」
こんなことを言ったり言われたりしたのではないでしょうか?
勉強とは元来、良い学校に行くためでも、良い会社に就職するためでも、成績を上げるためでも、ましてやテストの点数を上げるためにするものではありません。
勉強とは、
わからないことを理解するためにやる
それが勉強の本質ではないでしょうか?
勉強の本質に基づくと重要なことに気付かされます。
それは、
「わかること」より「わからないこと」に注視する
ということです。
よくこんな生徒がいます。
テキストを覗くと恥ずかしそうに隠す生徒
この子はどうして「恥ずかしい気持ち」になるのでしょうか?
きっと、「間違えているかもしれない」と思うからだと考えられます。
ではどうして「間違えているかもしれない」と思うと恥ずかしくなるのでしょうか?
きっと、「間違えることは恥ずかしいこと」と考えているからだと考えられます。
間違えることは恥ずかしいことなのでしょうか?
「間違える」ということを言い換えれば、「わからないことが見つかる」ということです。
勉強の本質に則れば、
わからないことが見つかるのは良いことです。
なぜなら、わからないことが見つかってはじめて、
わからないことを理解するために努力することができる
からです。
わたしは間違えることに価値があると考えています。
間違えるからこそ、正しい知識や理解が得られると考えているからです。
お子さんがノートを隠すようなら伝えてあげてください。
あなたの間違いには価値があると
お子さんが「全部マル」にしようとしてたら注意
間違えることは重要です。
ですが実際には全てをマルにしようとする生徒がいます。
「全部の問題に正解する」のではなく「全部の問題をマルにする」ということ
です。
答えや教科書を見たりしてマルにするのです。
当然ですが、答えや教科書を見ることが全て悪いわけではありません。
どちらも大切なことです。
ですが、問題を解く際に「マルにすること」が目的になってはいないでしょうか?
このようなお子さんは、すぐに答えや教科書を開く傾向が強いと感じています。
勉強の目的は「わかるようになること」です。
それには回すべきサイクルが存在します。
勉強にはサイクルがありぐるぐる回すことで学力の向上を目指せます。
勉強のサイクルとは
新たな知識を得る→理解する→理解が正しいか確認する→定着→新たな…
このようなサイクルです。
学校や塾に置き換えると、
新たな知識を得ることと理解することは【授業】に相当します。
理解が正しいか確認することは【問題を解くこと】に相当します。
定着することは【宿題】などを通じて繰り返し解くことに相当します。
そして【問題を解く】ときに全部マルにしている生徒がいるということです。
全部マルにしたがる生徒は間違えることを非常に嫌がります。
間違えることは良いこととお話ししましたが、実際、間違えることが嫌いな生徒はとても多いです。
ここでしっかり理解していただきたいことがあります。
それは、
間違えることが悪いのではなく、やり直さないことが悪い
ということです。
前述の通り、間違えることでわからないことが浮き彫りになります。
そしてわからないところはしっかりやり直しをしましょう!
それで、正しく理解していく。
それによって勉強のサイクルは回っていきます。
「指摘する」のはタイミングが命!先生はエスパーじゃない!?
かつての生徒にこのように伝えてくれた生徒がいました。
「あの先生、口出すの早すぎ!まだ考えとるのに!」
これは、教育者にとって非常に核心に迫る言葉だと感じました。
あなたがお子さんの勉強を見ていると仮定して一緒に考えてみてください。
あなたのお子さんは算数の文章問題を解いています。そこで、何も書かずに5分が経過しました。その子は何を考えているでしょうか?
- 全く問題がわからずに、ぼーっとしている。
- 問題の意味を理解しようと何度も読み返している。
- 理解し、頭の中で計算している。
あなたはどの答えだと思いますか?
答えは分かりません。
本当にぼーっとしているかもしれませんし、一生懸命考えているのかもしれません。
はたまた、問題が簡単で暗算で解こうとしているのかもしれません。
ここで何を伝えたいのかというと、生徒であれ、血のつながった子どもであれ、
人の頭の中を正確に読み取ることは不可能
だということです。
ですから、躓いているのか、考えているのかはわからないということです。
だから、
ほったらかしにしちゃいましょうw
できているかどうかわからないんですから。
下手に口出したら嫌がることもあると思います。
だから信じてほったらかしにしてください。
きっと一生懸命考えているんですよ。
ですが心配になりますよね?
ちゃんとできているか確認したくなりますよね?
ほったらかしにするのがベストですが、手を差し伸べてあげることも重要です。
一人で解決できないことかもしれません。
しかし、それには注意していただきたいことがあります。
それは
手や口を出すタイミング
です。
まだ考えているところなのかどうかを明確に判断できるタイミングがあります。
それは答え合わせの後です。
その問題の答え合わせが終わったら、区切りをつけたということです。
その時に指摘してあげてください。
「この問題理解できた?」と。
これ以外のタイミングで口や手を出し、
「ここで間違っているよ」とか、「こうやってやるんだよ」と指摘する必要はありません。
むしろすべきでないと考えています。
これは指摘ではなく、【過保護】です。
過保護は子どもの成長を阻害します。
良い距離感でお子さんの勉強を見守ってあげてください。
まとめ
いかがでしたか?
わたし自身このように生徒に接するようになったのは2、3年くらい前からです。
すると、どんなに勉強が苦手、嫌いな生徒も少しずつ自習するようになりました。
基本的にはほったらかしにするということが大切です。
教科や勉強の内容、勉強の仕方もほったらかしです。
「ほったらかしにして間違えたらどうするんだ!」
と言われそうですが、やはり間違えることが重要なのです。
生徒が自分で考え行動し、望む結果に繋がらなかった時はじめて、
「何がダメだったんだろう」と考えます。
そしてわからないことは頼れる人間に聞こうとします。
「先生、英語の勉強の仕方教えてー」
この時にやっと、我々大人に出番が回ってきます。
こんなふうに自分から質問できるようになればゴールに辿り着いたようなものです。
そのくらいゆっくり進めてあげてください。
ここまで成長したお子さんは、誰に言われることなく、
自分で考え自分で行動する
このことが当たり前にできるお子さんに成長されていると思いますよ。
聞かれてはじめて教えればいいんです。押し付けてはいけません。たとえ間違っていても。
しっかり間違えさせてあげる。そして子どもが自分で考え行動するまで待ってあげる。
それも大人の役目です。
今日はここまで。
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